食の文化

コラム

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外食の多い私が食事をしながら感じることですが、調理をベースにした飲食店に業界が席巻され、料理を提供する飲食店に巡り合うためには、かなりのコストを覚悟しないといけないのが現状です。

そのような中で、先日クライアントの役員と2人で、大阪の北新地(飲食街)の中あるカウンターが主の惣菜を提供するお店に、ある人の紹介で巡り合いました。

その店は路地の一番奥にあり、一元では全く出会わない店です。
女将さんが一人で料理をし、接客と後始末にアルバイトらしき女性が2人程のお店です。

一緒に食事をしたクライアントは食の業界の大手の方ですので、やはり食べることには関心が高い人ですが、その人も私も、出てくる料理全てに、実に新鮮な喜びを覚えたのです。

そのクライアントが数日前に、東京での接待で一人8万円以上する高級料亭で食事をしたそうですが、実にそのときの料理より、今日の料理の方が断然美味いと言うのです。
値段も、おなか一杯食べて、お酒も結構飲んで一人7000円くらいです。
おなかが一杯になってきたので、何かあっさりしたものをと注文しましたら、ほうれん草を茹でた簡単な一品が出てきたのですが、その根っこが実に美味しい。
聞いてみると、やはりこだわって京都の農家から仕入れているとのことでした。

しかし、素材だけでなくその素材を生かす技術と、美味しいものを客に提供することが自分の天職と疑わないその初老の女将が、食事をしているうちにだんだんと美人に見えてきたのは、私だけではないと思います。
最近日本では家庭の中にまで調理が入り込んできて、料理が阻害されてしまっているように思います。

調理と云う技術によって「文明」が発達し、人の食生活は格段に向上したことは事実です。
生活も楽になったはずです。しかし「お袋の味」に代表されるような、「その地域」「その家庭」の独特の「料理」無くなっております。

料理は「文化」です。
「文化」は人の心に作用する、金銭では換算できない次元のものなのです。
この心に大事な「食文化」を少なくとも、家庭の食の中に取り戻したいものです。

大げさですが最近の悲惨な事件、思いもよらない「心の欠如」から来る事件・・・。
この食の「文明と文化のバランスの崩れ」に起因している部分があると思うのは、想い過ごしでしょうか?

2008/10/31 Yahooブログより転載

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